この背景には何があったのでしょうか。
思わず調べちゃいました。
1889年ドイツ・バーデン州メスキルヒにて生まれる。はじめ神学を学ぶが、哲学に専攻を変更。
1913年に学位論文『心理学主義の判断論──論理学への批判的・積極的寄与』を提出。1915年に教授資格論文『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論』を提出。主査は新カント派の西南ドイツ学派のリッケルト。また、リッケルトがハイデルベルク大学に転出した後にフライブルク大学に赴任したエドムント・フッサールに現象学を直接に学ぶが、ハイデガーはそれ以前にもフッサールの著作に親しんでいた。
1919年戦争緊急学期から1923年夏学期までの時期、ハイデガーはフッサールの助手として勤めつつ、フライブルク大学の教壇に立つ。一般的にこの時期は初期フライブルク期と呼ばれる。この時期の主要な著述・講義としては、ドイツ留学中の田辺元も聴講した1923年夏学期講義『存在論 ー 事実性の解釈学』や、マールブルク大学のナトルプに提出した1922年の論文『アリストテレスの現象学的解釈──解釈学的状況の提示』(ナトルプ報告)などがある。
1927年に未完の主著『存在と時間』で存在論的解釈学により伝統的な形而上学の解体を試みた。
エルンスト・ユンガーの『労働者・支配と形態』の深い影響を受け、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に入党し、フライブルク大学総長就任演説『ドイツ大学の自己主張』(Die Selbstbehauptung der deutschen Universitat)を行なう。ハイデッガーはナチス左派、突撃隊に共感を抱いていた為、長いナイフの夜を機にナチスに幻滅する。
戦後はナチス協力を問われて、しばらく教職を追われるが、カール・ヤスパースなどの協力により復帰。実存主義者サルトルによってハイデッガーの哲学は実存主義とのレッテルを貼られたが、ハイデッガーはこれを否定した。ポストモダン、ポスト構造主義思想家フーコー、デリダ、ラクー・ラバルトに影響を与えた。特にデリダの脱構築にハイデッガーの形而上学の解体は深い影響を与えた。
また弟子に哲学者のハンス・ゲオルク・ガダマー、哲学者のカール・レーヴィットや政治哲学者ハンナ・アーレント(一時恋愛関係にあり、2人の往復書簡は公刊されている)がいる。
ヘルダーリンやトラークルの詩についての研究でも知られる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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